親愛なる作家K氏に捧ぐ

きっかけは、中学3年生の頃に雑誌で何となく目にした特集ページだった。

緩くウェーブのかかった黒髪に、薄手のロングコートを纏った彼は、カフェのテラス席に腰掛け通りを眺めながらコーヒーカップに口を付けていた。撮影場所は都内某所であるはずなのに、彼が醸す品の良さからか、その視線の先にあるのはパリの大通りであるような気がした。

どこか優美な雰囲気を帯びたその写真の横には、ちょっとしたインタビューが掲載されていた。質問のテーマは一人で過ごす時間についてで、「一人の休日はどう過ごすか」という質問に対する彼の答えは「映画を見に行くことが多い」というものだった。「劇場にはいつも飲み物だけ買って入るが、最近はカロリーを気にして飲み物のチョイスをジンジャーエールからゼロカロリーのコーラに変えた」というおまけ情報は、「アイドルは自己管理が大変そうだ」「なんだかすごく『人間』って感じのする人だ」という2つの感想を私に抱かせた。

 

何気なく読んだ記事だったのだが、どこか深いところで私に多大な印象を与えていたのだろう。なぜだかそれ以来、彼の姿や声、名前をよく意識するようになった。CS放送の音楽番組で偶然彼の所属するグループのライブ映像が流れた時、その歌声と身のこなしから目が離せなかった。私がすっかり彼のファンになっていることに気が付いたのはその時だったと思う。

そこから始まったファンとしての生活は非常に充実したものだった。何かに熱中したことのある人ならきっと誰もが分かるだろうが、何事もはまり始めが一番楽しいものである。これまでに発表された楽曲をひたすらに聴き、毎月複数発売されるアイドル雑誌を読み漁り、テレビの出演情報が解禁されれば逐一チェックした。

それらに加えてもう一つ、彼のいちファンとして手を出した媒体がある。それが小説だった。彼はアイドルであり、作家でもあった。アイドルという職業の多様性が今ほど目立ってはいなかった当時において、それは異色の経歴だった。もともと本を読むことに抵抗のなかった私が、彼の小説を読まないわけがなかった。中学校を卒業し、高校入学を控えた春休みに、私は書店で『ピンクとグレー』を購入し読み耽った。思えばこれが運命の時だったように思う。

最後のページを読み終わり本を閉じた時、私の脳内は衝撃で満ちていた。とてもアイドルを職業として掲げる人物が書いた作品とは思えないほど、それは異様な美しさを秘めていた。悲しく、切なく、痛ましい、しかしどこか温かさを感じさせる文体は、どこか神秘的ですらあった。そして何より、どうしようもなく美しかった。

それから私は彼の文章表現の虜になった。新作が出れば目を通し、ページの上を舞う文字たちに心を躍らせた。

それを皮切りに、私は彼の作品に限らず本を読むことが好きになり、さらにそれだけでは飽き足らず、文章を書くことにも興味を持つようになった。高校生の私はネットで得た知識を駆使してブログを開設し、時々文章を書き綴ってはそこに投稿した。自分の思っていることが文字によって形になる、それが何だか嬉しかった。少ないながらも私の拙い文章を読んでくれる人もいて、「書くこと」が私に自信を与えてくれるように感じた。

 

それから約10年が経った。当然あの頃とは生活の仕方も大きく変わり、興味の対象も移り変わっていった。アイドル全般に対する興味はあの頃に比べれば薄れたが、彼に対する熱、とりわけその文章表現に対する熱は今も私の中で燃え続けているのだと思う。

それを顕著に感じたのは、彼の最新作であるエッセイ集『できることならスティードで』を先日読んだ時だった。ページをめくる度に、あの頃私の心を一瞬にして鷲掴みにしたあの文章、それに繋がるエッセンスが次々に私を貫いた。映画や音楽に関連するワードが散りばめられ、時に現れる口語的表現が文体をちょっとだけおどけさせる。アイドルという職業であるが故にできる描写に心を奪われ、最後には本全体が一つの輪のように繋がっていることに気付きハッとしてページを閉じる。それは彼のこれまでのどの本にも共通していることで、だからこそ私はあの頃熱中した作品たちを思い出し一種の興奮状態になった。

 

考えてみれば、今私が好きな音楽、映画、小説、そのどれもが、何かしら彼から影響を受けているような気がしてならない。もともと私の好みと彼の好みが近いのか、彼が好きだと発言したものの影響を受けて私の趣味が形作られたのかは分からないが、彼の作品との出会いがなければ今の私は存在しないというのは確固たる事実だ。あの出会いがなければ、読書好きになることも、ブログを開設して書き物が趣味になることも、洋楽や洋画を楽しむこともなかっただろう。その点で、私は彼に感謝してもしきれないのである。

そんなことに思いを馳せていると、彼の作品を全部読み返してみたくなった。幸いにも私は彼の過去の作品をすべて所有しており(連載の雑誌は除いて)、いつでも好きなだけ再読できる状況にある。この機会に、私の人生に大きな影響を与えた作品たちを存分に掘り下げてみるのもいいかもしれない。どうせなら、その過程を文章として残すのもいい。

そういうわけで今回のブログ開設に至った。自分の好みのど真ん中を行く文章を読んで、ものを書くことへの欲望が再燃したのも大きい。実を言うとこれまでも、突然思い立ってブログを開設したことが数回ある。そのどれもがしばらくして更新が途絶え、ネットの海に埋もれる始末となっているので、このブログもどうなるか分からないが、とりあえず勢いに任せて今回もやってみることする。

 

最後まで私の愛する作家の名前を出さなかったのは、自分の青春時代を掘り返すようでなんだか照れ臭かったからだ。高校生の私がこれを読んだら、きっと冷やかすように笑うのだろう。