時間がない/知る/運転

やりたいことの多さに対して、圧倒的に時間が足りない。

やりたいこと。ドラマ見たい。映画見たい。本読みたい。ラジオ聴きたい。資格の勉強したい。ブログ読みたい。ご飯食べたい。お酒飲みたい。じっくりスキンケアしたい。のんびりお風呂に入りたい。ゲームしたい。

これを、本当は毎日、仕事が終わってから寝るまでに全部やりたい。

仕事が終わってからまっすぐ帰ったとして、家に着くのが19時。7時間の睡眠時間を確保するために、就寝するのが23時過ぎ。よって与えられた時間は4時間ちょっと。たったそれっぽっちの時間で上記のすべてを片付けるなど到底不可能なわけで。

せいぜい昨日のドラマ見ながらご飯食べて、お風呂に入って、勉強するかゲームするか、それぐらいであっという間に一日の終わりが来てしまう。就労時間は変わらないまま一日が30時間ぐらいになるか、毎日午前中だけ働いて今と変わらないお給料がもらえる仕事に就くしか解決法がない。つまり不可能。これが社会人の辛いところですな。

学生はお金はないけど時間はある、社会人はお金はあるけど時間がないってよく言うけれど、私の学生時間はお金がないのはもちろん時間がたくさんあったわけでもなかった。週3でサークルに行って、週3でバイトに行って、もちろん大学の講義もあって、おまけに学部に友達がいないので効率よく大学をサボることもできなかった。

思えば学生時代から今までずっと時間に追われている。

こうなるとなんなら老後が楽しみになってくる。働けるうちにたくさん貯金して、老後は海外旅行に行きまくってやるんだ。待ってろ私の老後。

 

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「知る」ということはとても大切なことだと思う。私は、知らず知らずのうちに誰かを傷つけないために、知らないことを知りたいと思う。

知る。

私が何不自由ない生活を送っている一方で、どんな不自由を抱えている人がいるのか。行き過ぎに思えるほど豊かで便利になった生活の裏側で、何が犠牲になったのか。遠い海の向こうで、どういう人が暮らしていて、何が起こっているのか。

知識があれば、何ができるのかを考えることができる。苦しみを抱える人たちに気付かずに踏みつける、そんな酷いことに無意識のうちに加担するのを防ぐことができる。

この世の中について、一生をかけてもすべて知ることなどできないのだろうけれど、できる限りたくさんのことを知りたい。幸いこの時代の日本に暮らしている私は、ネットの情報や本に囲まれた生活を送っていて、欲しい情報にはいつでもアクセスできる環境にある。

知ることは、時に苦しい。今まで目に入らなかったものが見えるようになって、そこに映る誰かの痛みに気付くことによって、辛いと思いこともあるかもしれない。でもきっと、そうやって何かに気付くことには意味があるのだと思う。知ることから逃げない人間でいたい。

先週のMIU404もそう思わされる話だった。便利な生活の裏で、不当なやり方で働かされている人がいる。そういった人たちを犠牲にして自分は暮らしている。そのことに気付くのは結構辛いものがあるのだけれど、気付けて良かったと思う。解決のために何ができるのか考えること、あるいは何もできなかったとしても、問題の存在を認めていくことに意味がある。

 

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車間距離はやり過ぎなくらいに空けるようにしている。運転能力、特に反射神経には自信がないので、自分は必ずそうすべきだという信念の下、そうしている。

たまにめちゃくちゃのんびりした車に出会う。制限速度40キロの道を、2,30キロで走っているようなちょっとのんびり屋さんの車。私の住む地域は運転が荒い人が多いので、私の母や父も含め、こういう車の後ろを走るときは後ろに近くついて走る。あれは本当にやめた方がいい。急かしているのか、待てないのか。これだけ煽り運転が社会問題化している時代に、少しでもそれを疑われるような運転スタイルはやめておいた方が身のためだ。

ともかく、私はそういう場合もばっちり車間距離を開ける。「あののんびり屋さんを怖がらせてはいけない」みたいな気持ちがある。「ほーら、全然イラついてませんよ。車間距離もこーんなに空いてる。だから安心して自分のペースで走りや~」みたいな良く分からない親心みたいな何かを胸に、30キロで走る。本当に車の運転ってのは人の性格が出るものだと思う。