生きる意味なんてなくていい

自分の生まれた意味はとか、何のために生きるのかとか、そういうことはあまり考えないことにした。

そもそも人間なんて誰もが「生まれたい」と思って生まれてきたわけではなくて、気が付いたらこの世に産み落とされていて人生がスタートしているわけで。「なんだかよく分からんけど、生まれたからまあ生きるか」ぐらいのテンションで生きていればいいと思う。そりゃあ、何となく生きている間に何かハッとする出会いがあって、「私はこれをやるために生まれてきたんだ!」って思えるものができた人はそのために生きていくのがベストだと思う。でも、私を含め大抵の人はそんな革新的な経験はできないまま人生を過ごしていくんでしょう。運命の出会いなんて、ただのラッキーな出来事に他ならない。最適な目標が見つかってラッキー、それだけのことで。その他大勢の私たちは、そんなドラマチックなことがもしあれば素敵だなあなんて、いつか白馬に乗って王子様が現れるのを待っているお伽話のお姫様見たいにぼんやり夢みながら、それでもそんなことはめったに起こらないことをどこかで自覚している。ただそれを嘆く必要はなくて、まあ人生なんてそんなもんだよなと鼻で笑いながらその時を生きればいいのだと思う。

生まれたくて生まれてきたわけでもないんだから、それでも何とか今も生きているってだけで万々歳だろう。生きてるってすごいことだ。この世に生きている地球人、みんなすごい。人を傷つけるのは良くないことだけれど、特に誰にも迷惑をかけていないのなら、その存在自体が素晴らしい。みんな生きててえらい。

何のために私はこの仕事を続けていくのだろうとか、もっと何か世の中のためにいいものを生み出さないととか、そういうことを考える時が私にはある。でもまあ、別にそんなこと考える必要もないかもなあと思った。週5日仕事して、ご飯を食べて、寝て、休みの日は家族や恋人と過ごして、あるいは好きなゲームをしたり本を読んだりして、そういう日々が連綿と続いていく。そのことに対して焦りを感じることもあるけれど、焦ることなんてない。仮にこの生活が私にとって苦痛で仕方ないものなのであれば、どうにかして環境を変えるべきだろう。仕事がつらいのなら転職を考えるべきだし、人間関係に問題があるのなら関係の修復を図るか新たな人間関係の構築を図るべきだ。でも、実際私は今の生活が幸せなのだ。仕事は別に好きなわけではないけれど、職場の人はいい人ばかりだし、仕事の内容が難しすぎたり簡単すぎるわけでもない。家族にも恋人にも愛されて、少ないけれど友人もいて、本当に幸福な人生を生きていると思う。だからそこで焦って生活を変える必要はないのだと、最近思うようになった。

愛すべき人を愛して、守るべき人を守って、社会的な責任を果たす。それができていれば十分なんじゃないのか。ゲームや小説や音楽は私の大好きなものだけれど、それらが何も生みださないように思える時があって辛くなる時がある。でも、好きなものを愛することは何も悪いことではないと、今は思う。それに、今の私はそういったエンターテインメントがいつも私の隣にあったからこそ成り立っていると、自信を持って言える。だから、せっかく好きなものがあるのだから、好きなものに触れる時ぐらいは後ろめたさを持たないようにしようと思う。勉強とか資格とか、そういう分かりやすく身になるものももちろん大切なのだけれど、無理にそれに興味を持とうとしないで、自分に本当に必要なもの、自分が触れようと思えるものを取り入れてみたい。「好き」の気持ちを忘れないようにしたい。

自分の感情を大切にしたい。私は、自分の感情を言葉にして伝えるのが苦手だ。だからこうして文章にして伝える練習をするのだけれど、それでもどうしても、面と向かっての会話では自分の伝えたいことの半分くらいしか伝わらない。だからか、十分に相手に伝わる前に感情に蓋をしてしまうことがあるように思う。でも、これからは、せめて自分くらいは自分の気持ちを汲み取ってあげられるようになりたい。誰にも分かってもらえなかったとしても、それでも自分自身が「分かるよ」って言ってあげられるように。

「いいな」と思ったことに心を注ぐ、そういう生き方が私には合っているのだと思う。

カマキリとドクガエルと誕生日

この前の週末は、いつも通り恋人と出掛けた。

この日は私の誕生日であり、また4月にあった彼の誕生日もコロナ騒ぎの中で過ぎ去ってしまったので、夜は二人の誕生日祝いを兼ねてディナーを予約していた。予約の時間になるまでは、喫茶店でお茶をしたり買い物をしたりして過ごすことにした。

この日で私は25歳になった。ついこの間まで学生だと思っていたのに、いつの間にやら二十代半ばである。歳のせいか、最近は消化機能の衰えを顕著に感じる。まず甘いものが少し苦手になった。コンビニスイーツ一つを食べきれない。飲みの〆のデザートにはもっぱらアイスやシャーベット、ゼリーを選ぶようになった。〆パフェなどもってのほか、注文したとしててっぺんのアイスだけ食べてはいご馳走様、というオチだろう。

夕食にはスペイン料理のコースを予約したのだが、昼にしっかりとした量を食べてしまうと、恐らく夜満足に食べられない。そのため昼はいつもと違って喫茶店で軽食を一人前注文して二人でシェアすることにした。

大正義コメダ珈琲店に入り、アイスコーヒー二つと、新商品のカツカレーサンドを注文。私がコメダの軽食メニューで一番好きだったあみ焼きチキンサンドは、私の見間違いでなければメニューから駆逐されていた。美味しかったのになあ。カツカレーサンドは想像通りのおいしさだった。カレーと名の付くものを頼んでおけば間違いないというのは、私たち二人の間での暗黙の了解である。

コーヒーを飲みながら話をした。コロナ真っただ中の頃はこうして顔を合わせて会話することができなかったので、私たちの間にはすっかり電話での会話が定着した。苦手だった電話にも慣れてはきたがやはり、好きな人と実際に向かい合っての会話というのは楽しいものである。数か月前まで学生だった彼はこの春から就職した。社会人になって、4,5月は基本的に在宅勤務を余儀なくされていたものの最近になってようやく出社の機会が増えてきたという。学生だったときと会話の内容がガラッと変わって、なんだか新鮮だ。こういう言い方をすると偉そうな感じがするが、社会人同士として互いの仕事の話をできることがなんだか嬉しかった。

茶店を出て街を歩いていると、蛍光グリーンのスポーツカーが走っていた。私はそれを見て「カマキリみたい」と思った。そこでふと思い出した。以前恋人と買い物に行ったとき、女性用の洋服の売り場に一着のワンピースがあった。ネイビーの地に細かい赤いドットがプリントされているそれを見て、彼は「ドクガエルだな」といったのだった。その時は男性の感性などまあそんなものだろうと半ば呆れもしたのだが、スポーツカーがカマキリに見えるのとワンピースがドクガエルに見えるのは同じようなことなんだろうと思う。他人から何と形容されようと、自分の好きなものを好きでいられればそれでいいのだ。

ユニクロで服を買った。白とブルーのストライプの、丈が長めのシャツだ。店頭のポップによれば、これを、何かしらを着た上に羽織ればなんかそれっぽくなるらしい。なるほど。そういえば、最近私の職場にもやっと冷房が入った。冷房がついていないと暑くて暑くて仕事どころじゃないのだが、ついたらついたで私の席が冷房の真下なのもあって肌寒くなる。暑いと寒いの中間はないのかと思うものの、上に一枚羽織るものを持っていれば万事解決。周りを変えるより自分が変わる方が、何事に関しても圧倒的に楽なことは多い。というわけで羽織りものの手持ちを増やしたかったのでちょうどよかった。

暇を持て余すことを心配していた割には時間は順調に過ぎ去り、ディナーの予約の時間が来たので店に向かうことにした。店は地下にあり、階段を下りていくと薄暗い室内にシャンデリアが光り輝くスタイリッシュな空間に通された。思ったよりも煌びやかだったので、間違えて場違いにリッチな場所に来てしまったのでは?と心配になったが、予約に間違いはなかった。会社の同僚らしき4,5人のグループがワイワイやっているテーブルもあったので、そこまでかしこまった店ではないというのは時間が経つにつれて何となく理解していったのだが、なんせ普段安居酒屋ばかりに行きがちなものでこういうオシャレ寄りの店には慣れていない。

前菜にはスイカの生ハム乗せが出てきた。スイカ…?生ハム…?生ハムメロンは聞いたことがあるが、スイカに生ハムとは聞いたことがない。恐る恐る食べてみると、スイカと生ハムの味がした。これが組み合わせとしてどうなのかは私にはよくわからなかった。隣の彼を見ると同じく怪訝な顔をしていて安心した。私たちにおしゃれ前菜はまだ少し早いのかもしれない。

前菜ではちょっと置いてけぼりを食らったものの、その後の魚料理や肉料理は純粋に美味しかった。魚料理に白ワインを、肉料理にワインを合わせるという大人の嗜みっぽいことも堪能できて私は非常に嬉しかった。大人の階段上ってる~!っていう感じ。25歳になってやっとそれかという感じもするが、まあそこは人それぞれだ。

食事をしながら、二人で暮らす新居の話をした。今は私は実家暮らし、彼は会社の寮暮らしだが、彼の配属先も決まったので、二人で部屋を借りて暮らそうかという話をしている。互いの職場へのアクセスや家賃、環境など色々なものを考慮しながら物件を探すのはなかなか難しい。こちらを立てればそちらが立たずという感じで、なかなかすべての条件を満たすものが見つからない。まだ全然話はまとまっていないのだが、そのまとまらない話し合いも含めて新生活準備という感じがして楽しい。

スペイン料理を堪能した後は、熱帯魚が見られるバーに行った。それぞれの席の傍らに熱帯魚の入った水槽が設置されていて、それを見ながらお酒が飲める。名前のよく分からない魚を見ながら、これまた名前のよく分からないカクテルを飲む。その訳の分からない非日常感が好きだ。

ちょっと夢寄りの現実。そういった感じのする誕生日だった。25歳の一年も楽しく生きる。

 

リモート飲み会で出会いの奇跡に思いを馳せる

先日、生まれて初めてリモート飲み会なるものに参加した。高校時代の部活の同期4人とZOOMを繋ぎ、ほろよいハピクルサワーをお供にノートPCのモニターの前に腰掛ける。

オンライン上で飲み会なんてどうなんだろうと思っていたが、意外とこれが面白い。対面での飲みと同じようにとはいかないが、リモートにはリモートならではの面白さがある。

まず参加している全員の生活環境が伺い知れる。画面に映る友人それぞれの後ろに映る背景が、どういう暮らしをしているかを物語っているようだ。一人暮らしの部屋には一人暮らしっぽさが、実家暮らしの部屋には実家暮らしっぽさが出るものである。実家暮らしの女友達の部屋には弟が何かしらを取りに訪れていたり、大学に入ってからも友人とバンドを組んで音楽をやっていた男友達の部屋にはさりげなくギターが立てかけてあったりする。高校を卒業して以来みんなで会う機会はすっかり減り、年に2,3回集まる仲になった。あの頃毎日のように部活で顔を合わせていた仲間たちが、あれから6年経った今、それぞれの場所で自分らしく暮らしている。それがなんだか嬉しかった。

あと、これはリモートならではだと思うのだが、話すタイミングがなかなかつかみづらい。対面での会話でも、複数人が話し始めるタイミングが重なった時には「あ、先どうぞ」みたいなやり取りが発生する。それがリモートだとより顕著になる。会話に参加しているメンバーの身振り手振りを感じ取りにくいからか、「この人何か言いそうだからとりあえず自分は黙っておこう」みたいな瞬間の判断が効かなくなるので、2人が同時に言葉を発する状況が多々起こる。今回はほぼ全員リモート会話初心者だったこともあり、そうなった場合の「先どうぞ」のやり取りもなんだかぎこちない。2人同時に話し始め、二人とも一瞬で言葉を引っ込めてそのまま沈黙が訪れる、みたいなことが何度かあったりする。

しかしそういうデメリットを抜きにしてもやはり、どこにいても話ができるというのは大きい。私たちの中には一人、高校卒業後から遠方の北海道に住んでいる子がいて、彼女とはなかなか会う機会を取れずにいたのだが、リモートなら顔を見ながら話ができる。北海道と名古屋、遠く離れた2つの土地が、ノートPC2台を挟んで繋がっているというのは何とも不思議なものだ。テクノロジーの進歩に感謝。

このメンバーで(オンライン上ではあるが)集まるのは3,4か月振りだったので、会話はなかなか弾んだ。このメンバーでは、会話が恋バナに流れることが多い。しばらく会わない間に一人の恋人が会社の人事異動で引っ越していたり、また一人には久々に恋人ができていたりして、話は盛り上がる。

その中で思ったのは、人生観というか将来についての価値観が合う人と出会えるというのは稀有なことだということだ。

私には付き合って6年目の恋人がいる。近いうちに結婚する方向で交際を続けており、だいたい何歳ぐらいで子どもを作って、老後はこういう生活ができたらいいね、というところまで話す関係だ。私たち二人は常日頃からそういう内容の会話をよくするので、まるでこういう関係の恋人がいるのが大多数の人間であるように思ってしまいそうになる。しかし、そうやってかなり先の将来まで話し合える恋人がいるというのは奇跡的なことなのではないかと思う。

友人たちと恋バナをする中で、実に様々な恋愛の形があることを思い知る。ある友人は付き合って6年目の恋人がいるが、その恋人が複雑な家庭環境で育った影響で家庭を持つことに良い印象がなく、結婚という話にならないらしい。また他の友人は、恋人はいるし結婚願望はあるが、今の恋人を結婚するほど好きになれるかはまだ分からないという。カップルの数だけ恋愛の形があるのは当然のこと。その中で、ここまで将来に対する価値観が合うパートナーと、人生のうちのかなり早い段階で巡り合えたのは本当に奇跡的だ。

それに、5年以上交際を続ける中で、互いの価値観に影響され合って将来への考えがすり合わされていった部分も大きいと思う。どちらかと言うとこの点の方が大きくて、まず第一に「これから先ずっと一緒にいたい」というのが二人ともあって、そのためには今後どういった選択をしていくべきかをこれまでともに考え続けてきた結果が、今の関係という感じ。なんにせよ、ずっと一緒にいたいと思える相手に出会えてよかった。

この状況なので恋人とはなかなか会えていない。普段と違う環境に置かれるとすれ違いが生じやすくなるが、焦らずに自分たちのペースで日々を歩んでいけるといいと思う。

友人たちとも恋人とも、いつか顔を合わせて、同じ食事を共有しながら美味しいお酒を飲めたらいいな、と思う。

連休の終わり掛けに見た夢の話

昨夜、夢を見た。夢の内容はこうだ。

夢の中の私は中学生で、修学旅行か校外学習の最中なのだろう、クラスメイト達と一緒に正体不明の観光地にいた。そこは田舎と都会の間、どちらかと言うと田舎寄り、という感じの駅前の街中だった。私はどうやら、中学時代に仲の良かった同級生と行動を共にしているようだった。

茶碗作り体験かそば打ち体験か、何かしらのアクティビティを終えて、駅に向かってクラスみんなで移動する場面に夢は移り変わった。私とその同級生は、途中でしれっと土産物屋に入ってお菓子を買った。クラス全員に配ろうと言いながら、駅への道を歩いた。クラス全員が現在進行形で同じ場所に赴いているのになぜそのクラス全員にお土産を買うのかと言われると疑問しかないが、夢とはいつも支離滅裂な謎設定に満ちているものである。

その道中、またなぜか、私と同級生の会話の中で「大きめのザルを買わなければ」という流れになった。お土産のお菓子をみんなに配るときに、ザルに入れて配っていけばスムーズだろうというのである。これも、「ボウルではなくザルなのはなぜなのか」「そもそもザルに入れずともお菓子の箱を開けてそのまま回せばよくないか」といった疑問が無限に沸いてきそうだが、その辺のディテールには突っ込まないのがお約束だ。

私は「駅ナカダイソーがあるからそこで買おう」と言った。ほぼ人生で初めて訪れる遠方の観光地のはずなのに、私はなぜかその駅に入っている店舗を把握している。私たちはダイソーでザルを探すことにした。

驚いたのが、夢の中でも新型コロナウイルスが蔓延していたことだ。ザルを買いに入ったダイソーでは、買い物客のほぼ全員がマスクをしていて、レジの店員と会計に来る客の間には透明のビニールシートが挟まれていた。

私たちはそれぞればらばらに分かれてザルを探した。現実だったら、キッチン用品のコーナーに行けばザルなんて一瞬で見つかるものである。だがここもまた夢ルールが適用されて、歩けども歩けどもザルが見つからない。私は途方に暮れた。さすがに同級生がもう見つけているのではないかと思い合流しようとしたが、彼女もまた見つからない。

ここからしばらくは記憶が朧気である。

とまあ何やかんやあって、私は同級生と合流して、どういうトリックか分からないが私たちの目の前には大小様々のザルがずらりと並んでいた。それっぽい大きさのザルを二つ選んだ。中学生らしく、黄色と水色の可愛らしい色のものを一つずつ取って、レジへ持っていく。

そうするとまた記憶は途切れるのだが、気付くとどうしたことか店内の消毒作業を私たち二人が手伝わなければならない状況になっていた。私は焦った。実は電車の時間がギリギリだった。ただでさえザル探しに時間を取られて出発時刻が迫っている。しかも忘れそうになるが今は修学旅行ないし校外学習の最中である。私と同級生の二人だけ電車に乗り遅れれば、大変な問題になりそうである。私も彼女もおそらく携帯電話やスマホといった文明の利器は持ち合わせていなさそうである。

しかし消毒作業の手伝いは不可避事項のようで、やらざるを得ない。私たち二人は右手に消毒液のボトル、左手に付近をもって売り場のフロアへと飛び出していくのであった――。

 

ここで目が覚めた。結局電車に間に合ったのかは謎のままだし、時間に遅れそうな焦りとザルがなかなか見つからないことへの苛立ちでちょっと微妙になってしまった二人の空気感がどうなったのかも知らない。彼女は私が小学校高学年から中学校まで一番仲が良かった友人なので、夢の世界の私たちにはぜひとも仲直りしていてほしいと思う。お土産に買ったお菓子を帰り道にちょっとつまみ食いして、顔を見合わせて笑っていてくれればいい。「お調子者のあいつの分は、まあいいか」と罪を共有して仲を深めてくれ。

私の予想では彼女らはきっとあの後電車に乗り遅れ、数本後の電車のシートに二人並んで座ってちょっと気まずい空気の中で何とも言えない表情を浮かべている。学校に着いてから二人してこっぴどく教師に叱られるのだろうけど、まあいいか、夢の中だし。

 

今はすっかり会う機会がなくなってしまった同級生のことを思うとともに、夢の中にまで新型コロナウイルスがしゃしゃり出てきたことに驚いている。私の会社では業種柄、大して仕事が減っているわけでもなく、在宅勤務になったり定時後や休日を家から出ずに過ごすようになったり知り合いに会いにくくなったぐらいで、世の中全体で言えば受けている影響は小さい方だ。それでも夢の中に出てくるぐらいには、精神と思考をあいつに支配されてしまっているのだろう。2月末に予定していた台湾旅行を中止に追い込まれたことや、もともと電話が苦手なためオンライン飲み会や通話によって若干疲弊していることによってこういう夢を見たのかもしれない。もちろん、収入減少や営業停止に追い込まれて明日の生活すら不安な状況にいる人に比べれば私のストレスなんて笑えるくらいちっぽけなのだけれど、そんな私ですらこんな夢を見るのだから、本当にこのウイルスの犯した罪は大きい。終息したら、痛い目を見ればいいと思う。自転車で買い物に出掛けて、買い物を終えて帰ろうとしたら路上駐車していた自転車を撤去されていて、徒歩1時間の距離を歩いて帰ろうとしたらわりと早い段階で結構強めに雨が降ってきて、翌日しっかりめに風邪を引けばいい。みんなを苦しめたんだから、それくらいの罰は覚悟しとけよな。

在宅生活の近況あれこれ

最近のごたごたにより、例に漏れず私も在宅勤務とやらをやらざるを得ない状況となっている。こういうことになる前は、毎日職場に通い仕事をしていたわけだが、今は職場に行く日と在宅勤務の日を一日交替で繰り返している。

この状況になる前も、何度か職場で「在宅勤務に切り替えることは可能か」という話が出たことがあった。しかし当時は結局「資料の運搬も大変だしそもそも職場のパソコンを外部に持ち出してよいものか云々」となって在宅勤務などできません、という結論に終着していた。しかしいざ今のような状況になってしまうとそうも言っていられない。とりあえず試しに在宅勤務を導入してみよう、という話になったのである。

在宅勤務の向き不向きはまあ、職種や業務内容によるんだと思う。事情によってどうしてもこの仕事は家に持ち帰ってやるには厳しい、というものは当然ある。私の担当業務でもそういった類のものはある。しかしそれを除けば、やってみれば意外と在宅でも行けるものだということが分かった。そりゃあまあ職場でやった方が、分からないことがあれば周りにすぐ聞けるし、会社の資料室に保管してある資料を参考にしたいときに在宅だと困ってしまったりはする。だが家ではできることをこなし、在宅ワークの間に課題として出てきたことを出勤した機会に解決する、というやり方は十分に可能。

「ちょっとそれは難しいんじゃ…?」と思うようなことでも、やってみれば意外とできてしまったりするものである。それは在宅勤務に限った話ではなく、各種システムや制度の導入など、職場のあらゆる事象に言えることなのではないだろうか。業務効率化のためにできる取り組みは色々とあるが、なんだかんだで従来の慣習に則って動いてしまってなかなか導入に踏み切れない、ということはよくある。しかし一歩踏み出しさえすれば案外すんなり事が進むものだ。外出も思うようにできず経済も滞り、どうしても気分が沈んでしまいがちな今日この頃だが、こういう発見ができたのはまあよかったかなと思う。

今回のコロナ禍による、個人的な思わぬ副産物は他にもいくつかある。

例えば、最近目の調子がすこぶる良い。というのも、私は極度の近眼で毎日コンタクトレンズをつけて仕事をしている。業務内容も基本的にパソコンと向かい合う事務作業だし、その上仕事をしていないときも、スマホなりパソコンなり何かしらの液晶画面を眺めていることが多い。そんな生活で知らず知らずのうちに目を酷使しているのだろう、日中のコンタクト装用中には目が乾いてしょうがない。基本的に左右どちらかの目に何かしらの違和感があり、一日中断続的に目薬を差し続ける。そんな状況だったのが、最近の外出の減少によりかなり改善されたのである。そもそも休日や在宅勤務で家から出ない日はコンタクトレンズをつけず、眼鏡で過ごすようにしている。ワンデーのコンタクトを使っているので、誰にも会わないのにそれを一日分消費するのはもったいない。というわけで、最近では週に2,3日位しかコンタクトレンズを装用する日がない。そのおかげか、週に数回の出勤日にコンタクトレンズをつけて出掛けた時にも、以前のような目の違和感をほとんど感じなくなった。目にかかる負担が激減したことによるものだろう。いかにコンタクトレンズというものが目に対して良くない影響を与えるのかを思い知らされた。よく考えれば日中の間ずっと眼球に異物を張り付けた状態を維持するのだから、そりゃあ目にはよくないのだろう。事が落ち着いて以前と同じ頻度で外出するようになった時も、週に何日かは眼鏡で活動する日を設けてもいいのかもしれない。

それから、在宅勤務が必要な期間が今後1か月は続きそうなので、さすがに自宅でのっ作業環境を整えなければと思い、眠っていたテーブルを片付けた。我が家には立派なダイニングテーブルとダイニングチェアがあるのだが、普段は使わないため主に私の物置と化していた。今度まとめて洗濯しようと思った衣類が積まれていたり、書店で本を買った時に中の本だけ取り出して外のビニール袋はとりあえず放り出したその残骸だとか、そういったものにまみれて天面が見えない状態になっていた。私は片付けが非常に苦手なうえに面倒くさがりなので、なかなかこのテーブルを片付ける気にならず、もういっそ新たに簡易的な机と椅子を買ってそこで仕事をしようとも思ったのだが、まあこの機会に環境を整えれば今後も在宅勤務に限らず、こうやってブログを書いたりするのにも使えるということで、重い腰を上げて片づけを行うことにしたのである。物がひたすらに多いのと埃がすごいのと部屋が暑いので、片付けには大変な苦労を要した。汗だくになりながらひたすらいらないものをゴミ袋に放り込み、掃除機をかけて雑巾がけをして、なんとか作業スペースを確保することに成功。今はそうして勝ち得た快適な作業場所で、このブログを書いているのである。とても嬉しい。この場所がまたゴミに埋もれないことを祈るばかりである。

また、家で美味しいコーヒーが飲みたくなった。今はお湯で溶けるインスタントコーヒーを飲んでいるのだが、これからは家で過ごす時間も長くなるので、インスタントを脱してもいいかもしれないと思い立った。いきなり道具を揃えると、早い段階で飽きてしまった時が怖いので、とりあえず100均でドリッパーとフィルターだけを買った。ひとまずスーパーかどこかで既に粉になったコーヒー豆を買って、簡易的にコーヒーを淹れてみることにする。これでもっと高みを目指したいと思うことがあれば、本格的にコーヒーミルなどを買い足して、豆を挽くところから挑戦してみたいと思っている。楽しいコーヒーライフ(?)に向けて、一歩目を踏み出したといったところか。これもまた外出自粛生活のおかげのようなものである。

そんなこんなで、私は結構このライフスタイルの変化を楽しめていたりする。

最近は気温が上がってきて、家で半袖Tシャツを着て過ごすことができるようになった。やはり薄着がよい。身軽で最高。暖かくなったら部屋着にしようと温めておいたちょっと奇抜なTシャツのストックがたくさんあるので、それを少しずつおろしていくのが今のもっぱらの楽しみだ。

ちなみに今は、「ABLY」と大きく書いてあるマスタードイエローのTシャツを着ている。意味を調べたら、「有能な」という意味だった。うーん、私って今日も有能。

 

お題「#おうち時間

暇すぎて好きな本を書き写し始めた

今日は祝日で仕事は休み。かといって外出自粛でやることもないので家に引きこもって過ごしている。もうかれこれ1か月近く、いわゆる「不要不急の外出」をしていない。はじめのうちは思うように遊びに行けないことに対してストレスを募らせていたが、最近では一周回って引きこもり生活が楽しくなってきた。思えばもともと私はひとりが好きな人間だった。家で好きなだけ趣味のゲームや読書やドラマ鑑賞に興じることができて、しかも誰にもそれを咎められない。世の中全体が家で過ごすことを推奨するムードなので、要らぬ罪悪感を抱くこともない。私は日本の明るい未来のために、全力を尽くして家でダラダラしているのだ。

さて、家で過ごす暇な時間が長くなってくると、何か真新しいことに手を出したくなる。正直、現状の趣味で手いっぱいで何かしらに夢中になっていたら気が付くと夜、という状況が続いているので新しいことを始める必要はないのだが、さすがに長く続く外出自粛生活に、身体が何らかの刺激を求め始めているのかもしれない。ちなみに今日は、Huluで「NYガールズ・ダイアリー 大胆不敵な私たち」を流し見しながらどうぶつの森でひたすら魚を釣りまくるという作業に一日の大半を費やした。

そういうわけで、今日は好きな本を書き写すという試みに挑戦してみた。一番の目的は暇つぶしである。もともとデータ入力のような単純作業はとても好きなので、多大な数の文字が印刷されている本を書き写すという作業は私にとって魅力的だ。好きな作家の本を選べば、その作家の文体を直接的に体感することもできて一石二鳥。読書好きの血が騒ぐ。

ということで例によって加藤シゲアキ著『できることならスティードで』のページを開く。パソコンを立ち上げて文書作成ソフトを開き、一本目のエッセイのタイトル「Trip0/キューバの黎明」から一文字一文字書いてある通りに打ち込んでいく。

作業を始めてみると、これが暇つぶしとしてはとても良い。無心で手を動かしていくのは私にとっては何の苦痛でもない。時折流れてくる雑念をうまくかわしたり、時に寄り添ったりしながら、時の流れに身を委ねる。

日本語能力も高まるように感じる。本を読んでいると、正確な意味は分からないけれど文脈で何となくの意味は分かる単語というのがよく出現する。普通に読むだけだとこういうものを分かったつもりになって読み飛ばしてしまうところが、複写作業にかかるといちいち漢字に変換するなどの作業を通すことで正しい意味を知りたくなって改めて調べてみたりするようになる。その他にも、今日の私で言うと「煽る」と「呷る」の違いとか、「鼻をかすめる」の「かすめる」は漢字でどう書くのか、なんていう日本語の知識が増えた。

それに加えて、これは読書好きにしか分からない良さかもしれないが、作家の文章表現に没入することができる。実際に本に書かれているのと同じ文章を複写していると、「うわ~この言い回し好きだわ~!」とか「ここをあえて変換しないでひらがなのままにしてるのロマンチックだな~」とか、そういった作家への愛が止まらなくなる。俗な表現で言うと、なんというか、手っ取り早く文章に酔える。

本の複写。暇でしょうがない人と浴びるように本を摂取したい人は、やってみるといいと思う。

そんなこんなで今日も一日が終わっていくのだけれど、さっき何となく自分のメモ帳をパラパラとめくっていた時に、ある一文が偶然目に留まった。そこには、「仕事を好きになりたい」と書いてあった。数週間の自分、なんてけなげなんだ。切実な仕事への思いを、そこにあったノートに何の気なしに書き記した過去の自分に、図らずもハッとさせられてしまった。大丈夫、今の私はあなたよりちょっとだけ仕事が好きになっています。なんなら未曽有の災禍が世界中を覆うことにより、色々あって職場に行く機会が減って会社で働けることがいかに恵まれたことなのかを噛み締めることになります。

未来なんてどうなるか分からなんだから、とりあえずその時々にやりたいと思ったことをやればいいんじゃないか。そんなところに落ち着いた昭和の日の夕暮れ時。

親愛なる作家K氏に捧ぐ

きっかけは、中学3年生の頃に雑誌で何となく目にした特集ページだった。

緩くウェーブのかかった黒髪に、薄手のロングコートを纏った彼は、カフェのテラス席に腰掛け通りを眺めながらコーヒーカップに口を付けていた。撮影場所は都内某所であるはずなのに、彼が醸す品の良さからか、その視線の先にあるのはパリの大通りであるような気がした。

どこか優美な雰囲気を帯びたその写真の横には、ちょっとしたインタビューが掲載されていた。質問のテーマは一人で過ごす時間についてで、「一人の休日はどう過ごすか」という質問に対する彼の答えは「映画を見に行くことが多い」というものだった。「劇場にはいつも飲み物だけ買って入るが、最近はカロリーを気にして飲み物のチョイスをジンジャーエールからゼロカロリーのコーラに変えた」というおまけ情報は、「アイドルは自己管理が大変そうだ」「なんだかすごく『人間』って感じのする人だ」という2つの感想を私に抱かせた。

 

何気なく読んだ記事だったのだが、どこか深いところで私に多大な印象を与えていたのだろう。なぜだかそれ以来、彼の姿や声、名前をよく意識するようになった。CS放送の音楽番組で偶然彼の所属するグループのライブ映像が流れた時、その歌声と身のこなしから目が離せなかった。私がすっかり彼のファンになっていることに気が付いたのはその時だったと思う。

そこから始まったファンとしての生活は非常に充実したものだった。何かに熱中したことのある人ならきっと誰もが分かるだろうが、何事もはまり始めが一番楽しいものである。これまでに発表された楽曲をひたすらに聴き、毎月複数発売されるアイドル雑誌を読み漁り、テレビの出演情報が解禁されれば逐一チェックした。

それらに加えてもう一つ、彼のいちファンとして手を出した媒体がある。それが小説だった。彼はアイドルであり、作家でもあった。アイドルという職業の多様性が今ほど目立ってはいなかった当時において、それは異色の経歴だった。もともと本を読むことに抵抗のなかった私が、彼の小説を読まないわけがなかった。中学校を卒業し、高校入学を控えた春休みに、私は書店で『ピンクとグレー』を購入し読み耽った。思えばこれが運命の時だったように思う。

最後のページを読み終わり本を閉じた時、私の脳内は衝撃で満ちていた。とてもアイドルを職業として掲げる人物が書いた作品とは思えないほど、それは異様な美しさを秘めていた。悲しく、切なく、痛ましい、しかしどこか温かさを感じさせる文体は、どこか神秘的ですらあった。そして何より、どうしようもなく美しかった。

それから私は彼の文章表現の虜になった。新作が出れば目を通し、ページの上を舞う文字たちに心を躍らせた。

それを皮切りに、私は彼の作品に限らず本を読むことが好きになり、さらにそれだけでは飽き足らず、文章を書くことにも興味を持つようになった。高校生の私はネットで得た知識を駆使してブログを開設し、時々文章を書き綴ってはそこに投稿した。自分の思っていることが文字によって形になる、それが何だか嬉しかった。少ないながらも私の拙い文章を読んでくれる人もいて、「書くこと」が私に自信を与えてくれるように感じた。

 

それから約10年が経った。当然あの頃とは生活の仕方も大きく変わり、興味の対象も移り変わっていった。アイドル全般に対する興味はあの頃に比べれば薄れたが、彼に対する熱、とりわけその文章表現に対する熱は今も私の中で燃え続けているのだと思う。

それを顕著に感じたのは、彼の最新作であるエッセイ集『できることならスティードで』を先日読んだ時だった。ページをめくる度に、あの頃私の心を一瞬にして鷲掴みにしたあの文章、それに繋がるエッセンスが次々に私を貫いた。映画や音楽に関連するワードが散りばめられ、時に現れる口語的表現が文体をちょっとだけおどけさせる。アイドルという職業であるが故にできる描写に心を奪われ、最後には本全体が一つの輪のように繋がっていることに気付きハッとしてページを閉じる。それは彼のこれまでのどの本にも共通していることで、だからこそ私はあの頃熱中した作品たちを思い出し一種の興奮状態になった。

 

考えてみれば、今私が好きな音楽、映画、小説、そのどれもが、何かしら彼から影響を受けているような気がしてならない。もともと私の好みと彼の好みが近いのか、彼が好きだと発言したものの影響を受けて私の趣味が形作られたのかは分からないが、彼の作品との出会いがなければ今の私は存在しないというのは確固たる事実だ。あの出会いがなければ、読書好きになることも、ブログを開設して書き物が趣味になることも、洋楽や洋画を楽しむこともなかっただろう。その点で、私は彼に感謝してもしきれないのである。

そんなことに思いを馳せていると、彼の作品を全部読み返してみたくなった。幸いにも私は彼の過去の作品をすべて所有しており(連載の雑誌は除いて)、いつでも好きなだけ再読できる状況にある。この機会に、私の人生に大きな影響を与えた作品たちを存分に掘り下げてみるのもいいかもしれない。どうせなら、その過程を文章として残すのもいい。

そういうわけで今回のブログ開設に至った。自分の好みのど真ん中を行く文章を読んで、ものを書くことへの欲望が再燃したのも大きい。実を言うとこれまでも、突然思い立ってブログを開設したことが数回ある。そのどれもがしばらくして更新が途絶え、ネットの海に埋もれる始末となっているので、このブログもどうなるか分からないが、とりあえず勢いに任せて今回もやってみることする。

 

最後まで私の愛する作家の名前を出さなかったのは、自分の青春時代を掘り返すようでなんだか照れ臭かったからだ。高校生の私がこれを読んだら、きっと冷やかすように笑うのだろう。