物語の世界に没入する瞬間がある

先週頼まれていた仕事が片付いて手持無沙汰になったので、特に用事もないのに明日は有休を取得した。休日前の夜はとても好きだ。夜更かしして、あのドラマを見ようか、あの本を読もうかと思いを巡らせる。

新卒で入社して今年で3年目になるが、有休を取得するときは未だにほんのりと罪悪感を持ってしまう。今は仕事も落ち着いているし、休むことには何の問題もないはずなのだが、どうしても他の人への申し訳なさを感じてしまうのをどうにかしたいものだ。休めるうちに休んどきゃいいんだ。

本を読むのが好きだ。読むのはもっぱら小説ばかり。

小説を読んでいると、どこかのタイミングがきっかけになって物語の中に没入していくのを感じる。電車に乗って、本を開く。はじめのうちは、その日職場であったことやその時イヤホンで聴いている音楽の歌詞が頭の中で渦巻いて、なかなか文章が入って来ない。しかし、それを振り払いながらページと向き合っているうちに、いつの間にか私は本の世界の中にいる。どこかに、私を取り巻く空気が現実から虚構に変わる瞬間があったのだ。そのポイントを境に、私は不確かな物語の世界へとはまり込んでいく。現実の悲しみや気怠さや憤りから離れて、そこにしかない風景の中へ私が溶けていく。そこは、大都会の雑踏の中だったり、異国のビーチだったり、地球を遠く離れたどこかの星の上だったりする。私の知らない、私を知る人の一人もいない世界へ、本は私を誘う。

それだから私は、小説が好きなのだ。現実の世界でどんなに嫌なことがあっても、物語の世界はそこで、変わらない姿で私を迎え入れてくれる。物語の世界に溶ける私は、溶けながらもどこか俯瞰した目でその世界を見つめている。現実の世界の記憶を宿した私が、現実を忘れてそこにいることを自覚しながら、私がいないはずの世界を眺めている。部外者の私は、部外者ながらも共感し、不満を抱き、そこにいる人々とともに笑い、涙する。

現実の私に何が起ころうと、その世界で起きる物事は変わらない。だから私は安心してその世界に身を委ねることができる。

何かに疲れた時は、私ではない誰かが作ったものに触れる。それは小説だったり、音楽だったり、映画だったり、様々だ。誰かが作った何か、その他人事感が、私にとってはこれ以上ないほどに救いになる。

この星にいる誰かが紡ぐ物語に、物語を紡ぐ誰かに、私は心からの感謝を示さなければならない。それらが、彼らが、私のこれまでの人生を支えてくれた。欲を言えば私も、誰かを救う物語を作る側に回れたらと思うけれど、それはこの先の流れに任せることにする。

休日の前の夜なので、調子に乗ってお酒を飲んでいる。帰りに成城石井に寄って白ワインを買ってきた。赤ワインは悪酔いするので、自分で買うなら白と決めている。学生時代の貧乏生活に慣れてしまったせいで、社会人になってある程度の収入を得た今でも、なるべく安いものをと思いながら買い物してしまう。人と飲むならまだしも、自分一人で飲むワインに1本1,200円以上はかけられない。私の家族は基本的にワインを飲まない。学生の頃に友人の見よう見まねで飲んで初めて、ワインの手軽さを知った。それまではワインなどブルジョワの飲むものだと思っていた。学生時代にはかっこよさを求めてワインを飲んでいた私だが、今では糖質の低さを求めてそれを飲んでいる。ワインとウイスキーなら好き勝手に飲んでいいことにしている。私も歳をとったものだ。

その一方で、食べる量が最近は圧倒的に減った。小学校高学年から中学校の頃は私も食欲が旺盛で、家族で食事に行くたびに「残飯処理係」と呼ばれていたものだが、最近では一転して極端に少食になってしまった。外食をしてパスタや丼ものを単品で注文しても、一人前を食べきれないことが半分以上だ。20代半ばにして早くも消化機能の衰えを強く感じている。今日もワインのお供にと、コンビニでパストラミビーフを買ったものの、1パックの半分も食べきらないうちに満腹を感じてきている。ダイエットや節約の視点で見ればこれは非常にいいことなのだが、旅行先で食べ歩きをしたいときなどにこれは厄介である。旅行の時は特別に胃の容量をいつもの3倍にできる、みたいなオプションが人体に備わっていればいいのに、と思う。1回につき500円ぐらいなら払うかもしれない。

特にやることもなく、急ぎの仕事がないという理由で有休を取得してしまったせいで、明日の予定が白紙である。洗濯物を干すのと妹をバイト先に車で送る以外に本当にやることがない。しかし、秋ごろからの繁忙期に入ればそんなことはとても言っていられない状況になるだろうから、予定が真っ白なこの状況はとても貴重だ。明日は暇を楽しむこととする。